前回のブログでは、私のミーハー人生のスタート地点である10代のころのファン遍歴を振り返りました。そして今日は20歳以降のファン遍歴を書いてみたいと思います。
今、ざっと思い浮かべると、10代よりは少ないと思うので、20代~現在(40代半ば)まで一気に書けると思うのですが、こればかりは書いて見なければわかりませんね(結局、書けませんでした) 。
さ。では、10代からここまでミーハー人生を歩み続けている私の、20代からのファン遍歴をまとめてみましょう!
私のファン遍歴~20代~
20代のころは、はるか遠い昔の事で、なおかつ手帳も残っていないので、記憶の糸を手繰り寄せながらの振り返りになります。
私は手帳好きなんですが、30歳手前頃の断捨離で一旦リセットしたんですよね。以降も断捨離は続けていますが、31歳からの手帳はすべて残しております(何報告?)。では、振り返ってみましょう!
20歳~22歳はチャゲアス&宝塚
20歳までは「10代編」で振り返った通りなのですが、20歳になってからもCHAGE&ASKAのファンは続きます。というか、瞳子さんと正田さんのファン活が無くなった分、チャゲアスの比重が高まったかもしれません。
CHAGE&ASKA(CHAGE and ASKA 時代だったかも?)
このころはチャゲアスの人気も右肩上がりで、本当に「雲の上の人」という感じでした。ライブにも行っていましたがチケットも取りにくく、このころはまだ1ツアーに1回だけ行く感じで、「多ステ」などはしていなかったように思います。
チャゲアスに関しては10代編に色々書きましたが、富士急のイベントに行ったり、ライブに行ったりと楽しいファン活動でした。
ただ、イギリスでアルバムを制作した頃かな?(今思えばASKAさんの薬のきっかけ?)そのころから徐々に活動ペースが遅くなって、ソロ活動が増えていったような気がします。アルバム出なきゃテレビには出ないしライブもないので、ファン活動と言っても1年~1年半の間の数ヶ月という感じでした。
とあるジェンヌさんのファンになる
宝塚に関しては、瞳子さんの舞台は見なくなっていたのですが、ほんのり気になる方ができまして(2年ほどとあまりにも短期間なのでお名前は伏せますが)。
その方にも手紙を書いていたら、公演が終了した後などに写真&サイン&メッセージ入りのお葉書などを頂くようになりました。(もちろんお手伝いされている方はいたとは思うのですが、ファンクラブなどは、まだなかったと思います。)
「指を怪我したので、いつもに増して汚い字ですみません」などとファンレターに書くと、「指のお怪我は大丈夫ですか?」なんて書いてくださる方で、ほんとうにふんわりとした雰囲気のやさしい方(男役さん)でした。
心も顔もとってもきれいな方だというイメージがあります。そういうところにも惹かれてファンになったんだと思います。
まだ研一(入団1年目)とか研二くらいだったのですが、ちょこちょこ舞台を観に行って、後ろや隅っこの方で踊ったり、通行人の役をしているのをオペラグラスで探したりして拝見するのが楽しかったことを覚えています。
私がフェードアウトしたあとも順調にスター街道を進まれていたようなのですが、ある時何らかのきっかけで一気にたくさんのジェンヌさんが辞められた時期があったそうです。たまたま時期が重なっただけかとも思いますが、私が応援していたその方も、その頃に退団されたようです(友人談)。
ついこの間、ネット上で久しぶりお名前を拝見しました!退団後ご結婚されて、その後も活動量は抑えつつもライブやディナーショーなどの芸能活動を続けておられるようです。相変わらずおきれいだ!
こんな感じの2年間でした
そんなこんなで、CHAGE&ASKAファンも、ほんのり気になったジェンヌさんのファンも続くかと思いきや!!仕事の関係で関東で一人暮らしを始めることになりました。
若い頃(笑)の初めての1人暮らしはとても楽しく、ファン活より生活そのものや近所に住んでる同期と遊んだりすることで忙しくなっていき、ジェンヌさんに関してはフェイドアウト(←また!)。
チャゲアスに関しては、アルバムを購入したり、歌番組に出たりしたらチェックするけど、ファンクラブの更新を忘れたこともありました。だって2人の活動がないんだもん(笑)。
22歳~駒田一さん
一人暮らしを始めてすぐのころ、「久々に舞台を見たいな~」と思って思い出したのが駒田一さん。安寿ミラさんが宝塚を退団されたあと1度だけ舞台を観に行ったのですが、その時に出てた駒田さんのマジックに度肝を抜かれ、その日、出待ちしてサインまで貰うという……(笑)。
そのことを思いだし、調べてみたら新宿のシアターアプルでの舞台にご出演されていたので、張り切って見に行きました。そこで今風にいうと「沼に落ち」、ひとり暮らしの気楽さと、交通費の安さ(笑)、仕事が比較的余裕のあるシフトだったので、公演中何度も通い詰めました。
え?もちろんお手紙入れますけど?
時間が許せば入り待ち出待ち(もちろんおしゃべり目的で声などは掛けられる訳もなく、ただ、そっと見て、サッと手紙を渡すだけですが)をしてたある日、先輩ファン(?)から声をかけられました。結構長くファンをされているようで、駒田さんの色々なお話を聞かせてもらいました。
そしてその日、 先輩ファンと一緒に入りを待ってお手紙を渡したとき、「この子今日がこの舞台最後なんだって~!サインしてあげて~!(この感じ、古き良き時代だねぇ)」って言ってくださったので、パンフレットにサインを頂くことができました。
公演中何度か手紙を渡していたのですが、駒田さんは記憶の糸を手繰り寄せて(一瞬左上を見ながら考えていた)、名前を言っていないにもかかわらず、間違えずに為書きまでしてくださいました!
うぉーーーーーーと感動すると同時に、数回渡しただけのファンレターで名前を覚えてくれるなんて、なんていい人なんだ!でもすごい、これが「人をファンにさせる商売 」 なのか!(いや、本業は舞台役者です。でも、「人気商売」って好きにさせてナンボのところあるよね?これ、いい意味で言ってます)
ファンになりてだったシアターアプルの公演の印象がめちゃくちゃ強いのですが、一人暮らしを終えて関西に戻ってからも、座長公演やファンクラブイベントに行った記憶があるので、4~5年ほどはファンだったような気がします。
そして、駒田さんもいつしかフェイドアウトなんだよな……。昔のこと過ぎて良く覚えていないのですが、舞台役者さんって毎日活動を見られるわけじゃないですしね。いつの間にか……。
実は駒田さんに関しては、数年前からブログを拝見しております。坂本くんファンにもおなじみの菅野こうめいさん演出の舞台などにも出演されているので、大人になった(当時から大人だけど)駒田さんの舞台をまた拝見したいなぁとも思っています。
2020年には観られるかな?多分、来年は坂本くんの舞台はなさそうな気がしているので(前半はリハビリ中心、後半はV6の25周年がメインかと思ってます)、坂本くんの舞台が無ければ駒田さんの舞台を見に行こうかな。
22歳~朝日健太郎さん
実は、駒田さんのファンと同時進行していた方がもうお一方(根っからのミーハー)。それが、バレーボール選手の朝日健太郎さんです。
一人暮らしを始めたころ、朝日・加藤・西村選手などの活躍で、世間的にもバレーボールブームが到来していました。ちょうど同期が加藤陽一選手にハマっていて、私もバレーボールは好きだったので、テレビなどで見るうちに朝日さんのファンになったんですよね。
なつかしいなぁ、「ライジングサン」。ほんと、バレー選手に付けるキャッチフレーズがダサすぎて泣けてくる(笑)。ま、チャゲアスも確か「九州から、大型台風上陸」みたいなキャッチだったと思うけど。
バレーの大会があると、2人していそいそと体育館に出掛けました。2人とも、「見るなら近くでしょ?」といつもコートサイドのお高いお席をチョイス。
以前バレーボールファンをしていたころは小学生で親に頼らなきゃバレーの試合なんて見に行けなかったのですが、このころはなんといっても社会人ですからね。友達とも、そんな話をした記憶があります(笑)。
初めて生でジャニーズを見たのもそのころ。嵐がワールドカップバレーのイメージキャラクター(?)をつとめていたんです。だから毎回試合が始まる前にコートで繰り広げられる、「あ~らしっ!あ~らしっ!ふぉーどぅりーーーーーむ」を見聞きしていました。
あれ?……と、言うことは……。私DJをしていた坂本くんを見ているのか?その時に。見ていたかもしれませんね。でもその時は朝日さんでしたけどね。
朝日さんのファンも4~5年続いたような気がします。一人暮らしを終えて関西に戻ってきてからは、箕面にあるサントリーの体育館に何度か練習見学に行きました(押しかけではなく認められていた)。手紙?ええ、もちろん(笑)。
さらに、当時のサントリーバレーボール部の皆さんは、確か全員営業部に所属していて、午前中はお仕事をされていたんですよね。営業の一環で、スーパーでビールの宣伝販売をするという企画もありました。私もいそいそと出かけて行き、朝日さんからビール6缶(正確には発泡酒)を購入して握手をしてもらった記憶があります。懐かしい!
その後、気づかぬうちにフェードアウト(また?)しましたが、インドアからビーチへ、そして今では自民党の参議院議員になっておられて驚きました。
22歳~織田裕二さん
本当に自分でも呆れるのですが……。22歳~は、駒田さん、朝日さんに加え、もうお一方同時進行していました。それが、織田裕二さん。もともと「振り返れば奴がいる(主題歌:YHA YHA YHA byチャゲアス)」がきっかけでいいなと思っていて、その後のドラマもほぼ全部見てたんですけどね。
きっかけはやっぱり「踊る大捜査線」ですね。当時の同期たちと仕事終わりに自転車をかっ飛ばして、劇場(映画館)に見に行った記憶があります。その後仕事を変えたのですが、新しい職場は踊る大捜査線のエンディングでおなじみのお台場のあの道路が通勤路でした(笑)。
毎回そこを通る時には、「らっそんばてぃとぅないっ♪」とあの曲が頭の中を流れていました。
後に織田さんにASKAさんが楽曲提供&コーラス担当をするという私得なコラボレーションが。このころには「好きな人はこの目で見てみたい!」という強い意志をもっていたので、映画の舞台挨拶やZeppでのライブ、コンサートにも行きました。
映画も映画館で見て、ドラマもチェックして……。ファンとして最後に見た作品は……(Wikiをチェック)……あ、テレビドラマの「ラストクリスマス」でした。矢田亜希子さんとの共演でしたね。
確認してみると29歳の終わりごろ。そっか。毎回フェードアウトしていた私のファン活ですが、織田さんに関してはなぜ見なくなったのかがわかりました。そのころ、新しくファンになった人がいたからです。それについては次回のブログで (笑) 。
25歳~再びCHAGE&ASKA
楽しかった1人暮らしは4年ほどで終えて地元に戻ったのですが、関東では立地条件に恵まれているにも関わらず、一度もライブを観に行っていませんでした。関西に帰る前に、せっかくだから一度見ておこうとおもって、当日券(あったんですよ、これが)を買ってASKAソロを観に行きました。
そこで、再びハマル(笑)。
その後すぐにファンクラブに再入会して、そこからはまたCHAGE&ASKAのファンでした。しかも、地元に戻ってから入った職場にチャゲアスファンがいたので、一緒にライブに行ったり遠征したりしました。29歳一杯までは、チャゲアス中心だったかなぁ。
その後はちょこちょこ行ったり行かなかったり。今、公式サイトを見て見ると2009年1月にチャゲアスとしての活動休止、ソロ活動続行が発表されて、その年のASKAさんの「CONCERT TOUR 2009 WALK」、CHAGEさんの「奥の細道ツアー」がそれぞれの最後の現場かな。そのころ確か34歳くらいだったと思います。
ASKAさんの「WALK」のあとの「昭和が見ていたクリスマス」。行ったような気もするし、行かなかったような気もする……。覚えてないや。
20代も相変わらずです(笑)
20代以降は一気に書けるかもと思っていたのですが、現時点で5,000文字越え。随分長くなったので、ここで一旦区切ります。次回が30代からのファン遍歴(チャゲアスに関しては30歳を超えても現場に行きましたが、熱量も低かったし、今回で書いちゃったので次回では省略)。
何かこれ書いてて、自分のミーハーっぷりにちょっと引いてる(もっと引け!)。多分次回で終われるはず……です……。ん?どうだろう?へへへ。
*つづき* → オタクかファンかミーハーか?私の好きな人遍歴まとめ~30代以降編
↓ ファンになったときから思ってたけど、CHAGEさんっておしゃれだよね。世間のイメージとは裏腹に、ASKAさんの方が趣味的にはちょっともっさりしてる感じ(笑)。